■black ■ev/cg/01_09.jpg +fade ―――何か、得体の知れない「もの」が、体の上に覆いかぶさろうとしていた。 「何者かっ!?」  青年は叫んで、寝具を跳ね除け、飛び起きた。 ■black 「――――!」  暗闇の中、相手が息を呑むのが気配で解る。 「誰だ!」 ―――答えは、無い。  だが、確かに何者かが、そこに居る………  盗賊か? いや、それにしては、先程触れた手は……  じっと闇に目をこらす内に、じわり、じわり、と暗がりの中にぼんやりとした人影が浮かび上がる。 ■ev/cg/02_04.jpg 「うっ―――」  一瞬、その場に凍りつく。  月明かりも入らない暗闇の中に浮かび上がった白い双眸が、こちらをしっかと見つめている。 ■ev/cg/01_06.jpg  しまった―――暗闇に目が慣れたのは、向こうが先だったか。  その目は、凝視するように私の方を真っ直ぐに見つめていた。  先手を取られた……しかし、相変わらず、向こうが動く様子はない。 ―――何を考えている………?  暗闇の中で、謎の人物と相対したまま、一寸も体を動かすこと無く、じりじりと緊張だけが募る………  それが、どれほどの時間だっただろう―――青年には、一刻ほどにも思える長さであった。 ■black +fade ■ev/cg/01_03.jpg  そして、突然、現れた時と同じように、その目は闇に溶けこんで消えた。  まるで、獲物を狙っていた梟が、狩りを諦めて目を瞑ってしまったかのように………  一瞬遅れて、近くにあった火打石を叩いて、火花で周囲を照らす。  しかし、照らされた部屋の中には、もう、彼以外に人影はない。  謎の人物は、物音も立てずに立ち去ったというのか……… ■black +fade  一体、何者だったのだ? 何の目的で、この寝室に入ってきたのか?  正体不明の人物への恐怖よりも、あの瞳の印象が頭に残り、先程までの眠気は全く消え失せてしまった。 ■ev/cg/02_04.jpg +fade  暗闇に浮かんだ、あの二つの瞳――――消えるほんの一瞬、なんとも切なげな光を湛えていた………  それに―――自分の胸に触れた、あの手の感触。 ■ev/cg/02_06.jpg  凍えるように冷たい感触ではあったが、あれは、紛れもなく、小さな女の手―――刃を握ったこともなさそうな、柔らかい少女の手だった。 ■white +fade ■ev/cg/02_01.jpg  結局、その後は一睡もすることは出来ないまま、明け方を迎えてしまった。  緑色の陽光が窓から射してくる。  その朝焼けを見ながら、ほっと溜息をつく。  冷静になってみると、昨晩のあれを盗賊だと考えたのは早合点であったのでは、と思えてきた。  昨晩の謎の人物―――あれは、あるいは県令の愛人だったのかも知れない。  普段この部屋で眠っている県令と間違えて、青年が眠っている閨の中に潜り込んできたものの、彼が大声を上げたため、驚いて逃げ去ったのかも知れない。  人の顔の見分けがつかない真夜中の暗闇でのことだ。人違いをしたとて、何の不思議があろう。  それならば、寝所に潜り込んできたのも、その手が少女のような可憐なものだったことも、無理なく説明がつく。 ■ev/cg/02_02.jpg  そう考えて一人で納得していると、県令が身体をゆすりながらやってきた。  挨拶を交わしながら、泊めてもらったお礼を述べる。 「それで―――昨晩は、よく眠れましたか?」 「はい、お陰様で」 「何事も、起こりませんでしたか?」 「ええ……特に、何も」  昨夜のあの人物が、推測したように県令の愛娼ならば、ここれつまらぬことを言って彼に恥をかかすべきではなかろう。 「そうですか……おや、香を焚きましたか?」 「え? いいえ。……でも、確かに、仄かな香りがしますね……この香りは………」 「ふむ、どこかで百日紅でも咲いてましたかのう」  ふと、その時、昨夜のあの謎の人影のことを思い出した。  今、嗅いでいるこの香りが、あの人物が漂わせていた微かな匂いに似ているような気がした。 ■black +fade  何度も礼を陳べて、屋敷を辞去する。  青年は、荷物を背負い、立ち上がる―――さて、次の集落まで、道程にして約十里ほど。  山間の細い道を歩かねばならないが、陽が傾く前には、到着できるだろう。 ■ev/cg/02_03.jpg  さて、街道を歩き、村の境までやってくると、道の傍らで筮竹を鳴らしている占者が彼を呼び止めた。 「もし、お若い方、格好からして旅をお急ぎの途中かとお察ししますがな。ちょっと寄ってくれませんか」 「いや、御宣託は無用だよ。余分な路銀もないので」 「いやいや、実はな、昨日戯れに卜占を立ててみたら、朝方ここに座っていると珍しい運を持つ人物に遭遇する、と出てきたので、興味を持ってしまってね」 「私にとっては、こいつはただの趣味だ、代金が欲しいわけでもない。ただ、あんたの顔に摩訶不思議な―――そう、類稀な運勢が見えるのでね、研究させて欲しいんだ。時間はかけさせませんよ」 「はあ、それなら、少し見ていただきましょうか」  青年は、易者の前に座った。易者は興味深げに彼の人相をまじまじと見つめ、何度も満足そうに溜息をついた。 「うむ、うむ。あんたはね、ご自分で自覚しておられる以上に、興味深い人物だ。気がついては、いないでしょうがね」 「たしかに、多少は、知恵が回る方だと自負していますが」 「そういう意味とは、ちょいと違うんだ―――そうですな、例えば、何らかの選択を迫られた場合、あなたは、普通の人とは違った選び方をするでしょうな」 「そうですかね。私だって、権力や財力は欲しがりますし、健康で美味しい物を食べていたい。普通の人と、望みは同じだと思いますが」 「さて、それはどうでしょうな……では、予言をしようか―― 「これから直ぐに、あんたは人生の大きな選択を迫られるだろうね――― 「そして、それは、とても普通の人ではお目にかかることがないほどの重大な運命の岐路だ」 「それはそうでしょう。これから受けに行く科挙に通るか否かで、私の人生は大きく変わるのですから」 「科挙なんかは、私も経験したがね。あんたのこの後の運命は、私のものなんか比べもんにならんね。迷うことも、多々あるだろうな」 「迷い―――ですか。どうすればいいか、お分かりですか?」 「北極星が、あんたを導くでしょう。迷わず、お行きなさい。」 「はあ……」  青年には、解ったような解らないような説明だった。しかし、易者の方は満足した様子で、彼を置いてさっさと立ち去ってしまった。 「まあ、悪い未来を脅されたわけでもないし、気にしないでもいいかな」  思わぬ足止めをくらってしまったが、青年はまた荷物を背負い直し、道を歩き始めた。 ■black +fade