■black  中世の中国、辺境での出来事として伝わっている話をしよう。  南端の国境線に近い、山奥の土地の話である。 ■ev/cg/01_01.jpg +fade  月夜の晩、夜もとっぷり更けていたが、月光の下では酒宴が繰り広げられていた。 ■ev/cg/01_07.jpg 「まあまあ、どうぞ一献」  宴会の中心人物である県令が、端っこに座っていた若者に酒を注いだ。 「いや、私のような無官の若輩者が、県令である貴方に杯を注いでいただくなど、畏れ多い」  今年、都で開かれる会試を受けるために、青年が故郷の里を発って数週間あまり―――立ち寄ったこの町で、思いがけず、県令の饗応を受けることになった。  青年が郷試を受かった者だと名乗ると、県令は「詩歌の神韻の深遠について是非語り合いたい」と言って、半ば強引に酒宴に参加させたのだった。  ところが、招きに応じてみると、実はただ、酒を飲む口実を欲しただけの事だったようだ。 「この町は、なかなか見所も多いところでしてな。まあ、二、三日泊まって、ゆっくり命の洗濯でもしていかれるといい。盛り場には、辺境にしてはなかなかの美女が揃っております」 「ありがたいお言葉です。ですが、都までは、まだ何日も歩かねばなりませんから、明日の朝早くにはここを出発させていただきます」 「それは残念。しかし、ここから山の峠を抜けていく時には、道中、くれぐれもお気をつけなさい。山間に住む、国境いの村の中には、山賊めいた連中も徘徊しておりますからな―― 「――全く、奴らと来たら野蛮で、自分たちの風習を頑として変えませんでな。迷信に凝り固まってしまって、我ら役人がいくら諭しても、中央の法も秩序も受け入れようとしない―― 「――頑迷で粗野で、無知蒙昧な連中じゃからなぁ」 「はあ、気をつけて歩きます」 「ところで、今晩の宿はお決めかな? 宿を決めてないなら、今晩は、ここに泊まるといい。わしの寝台が空いているから、そこをお使いなさい」 「いえ、そこまでの厚遇は、さすがに過分にすぎます」 「イヤイヤイヤ、わしは町の南に、別宅があってな―――まあ、世間で言うところの、妾邸というヤツじゃ。今晩は、そこでしっぽりと……な。解るじゃろう?」 「は、はぁ……」 「うわっはっは、お若いせいか、まだまだお堅いのう――そんなわけで、今晩はこの場所を空けるので、留守にするよりは貴方に泊まってもらったほうが、泥棒も寄り付かないじゃろう―― 「――ま、ここは好意を汲みとってくれ」 「はあ、では、ご好意に甘えさせていただきます」 「はっはっは、遠慮なさることはない。自分で言うのも何だが、割と金をかけた自慢の寝所なのでな。ごゆっくり、お寛ぎなさい」 ■black +fade  今晩の宿に悩んでいたのは、確にその通りなのだ。お金を払って泊めてもらうか、へりくだって泊めてもらうかの違いでしかない。  貧乏で身分の低い若造の身で贅沢は言っていられないからな…… ■ev/cg/01_02.jpg +fade 「ああやって自慢するだけあって、ずいぶんと広いな……」  下男が案内してくれた寝室は、豪勢な壁紙や調度品に彩られた、広々とした部屋であった。 「一県令の給与だけでは、とてもこれ程のものは賄えまい」  県令ともなれば、給与の他に、地元からの謝礼や商人からの付け届けなどが、 事あるごとに贈られてくるし、徴収した租税の一部を私的に流用することも意のままだ。  もちろん、どちらも褒められたことではないが……。  青年は、借り物の寝床に潜り込み、身を横たえた。  程良く酒に酔った体を、柔らかい寝具が受け止めて、心を落ち着かせてくれる。 ■ev/cg/01_03.jpg +fade  燈台の火を吹き消すと、あたりはたちまち真っ暗な闇に包まれる。  僅かに、月の明かりが、窓枠をぼんやりと浮かび上がらせるのみだ。  夜はとうに更けており、使用人たちも寝静まり、微かな虫の音以外には、物音一つなく静まり返っている。  静寂は雑念を排し精神を研ぎ澄ましてくれて、夜の冷えた空気は酒に火照った体を酔い覚ましてくれる。  なんという心地良さだろう………  これは、すぐに眠ってしまいそうだな……… ■ev/cg/01_04.jpg +fade  ………………………………  …………………… ■ev/cg/01_05.jpg +fade  …………こう ■ev/cg/01_06.jpg +fade  ――こう、こう、こう……・ ■black +fade ………ん? ■ev/cg/01_04.jpg +fade 微かに耳にした物音が、青年の眠りを中断させた。 …………風が、出てきたかな………? なんとなく、空気がさっきより冷たい気もする。 思わず寝具の上掛を掻き上げた。 それにしても、自慢するだけあって、この寝具の寝心地は素晴らしく良い……上等な上掛は分厚くて、織りも良く、肌ざわりが心地いい。 そうだ、まるで、乙女の柔肌のような……滑らかで、柔らかくて、いい匂いがする…… ――どこかで嗅いだことがあるような、懐かしい花の匂いがして……適度に重みもあって、肌にぴったりと寄り添うように吸いつく。 ■ev/cg/01_06.jpg +fade そう、重みが…… ■black 「うぐっ?!」 おっ、重いっ! ■ev/cg/01_08.jpg な、なんだ、何かが……何かが、胸の上に乗っている。 すべすべとして、柔らかく、冷えた心地の……… 風が……強くなってきた、のか………寝具の中にまで、吹きこんできて――― ―――いや、ちがう。 この風、寝具の中に吹き込んでいるのじゃない―――中から、吹き出しているのだ。 鳴き声のような風音…………いや。 苦しそうな、泣き声…………女の、すすり泣きにも似たような……… ■ev/cg/01_09.jpg +fade ………さっきから、この胸の上に乗っているこれは………もしや…………… ……胸をまさぐるこの冷たい手は……… ■ev/cg/01_10.jpg ……――――!!